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三十路でーす。

惣吉と飛行機を望む

 明日の誕生日で30歳という年齢になります。あざーす。
 ありがたいことに毎日忙しいです。
 子どもと一緒に妻も寝てしまったし、誕生日というのは実にいい機会なので、最近感じていることを徒然に書き留めておこうかしらと思った。

 最近頻繁に感じることは、有り体な話、「もののけ姫ってもう10年前なんだ」とかそういった時間の経過を短く感じる類のことで、ひるがえっては、この10年間の自分の変化の微小さだ。
 確かにこの10年、いろいろと変わった。学生じゃなくなって、結婚して、岡山に住んでて、会社役員で、起きてる時間の多くを主にお金をもらうために働くことに費やして、子どもがいて、一戸建住宅を所有していて、借金があって、概況としては大幅に変化していて、おおよそ同じ人物とは思いがたい。
 また、怒るときには怒れるように、相手の嫌がることをハッキリ言えるように、など、パーソナリティとされるような面で、ポテンシャルを伸ばすことを画策している項目もある。

 でも、状況が変わったり、できなかったことが幾分できるようになったりしたからと言って、自分がそんなに大きく変わったとは思えない。
 僕は相変わらず、できれば未成熟な、学生の頃に持っていた暇で豊穣な時間を愛でることができるような気持ちを持ち続けられたらいいなあと思っている。また、無理だということを身をもって思い知る毎日だけど、皆が他者のことを思いやって、全てが円満に進んでいけばいいのになあと相変わらず思っている。

 ということは逆に、変わってない気がするしそんなに変わりたくもない、という気持ちを抱くということ自体、自分をめぐる環境の変化や、日々の鬱陶しかったり腹がたったりする出来事によって増強されているんだろう。
 人はこうしたことの積み重ねで、次第に頑固になっていくんだろうか。
 頑固にならないことに頑固になりたいし、まずは何でも受け入れる寛容さを持ち続けていたいし、思い込みによる反射的な拒絶反応を抑制したい。そういった不器用さと愚直さを持ちたい。

 ぶれない一点が無いと大局で判断できずに視野が狭窄してくる。そのぶれない一点の輪郭を明確にさせていくこと、外に広げていきたいということ、先手を打つ洞察力と行動力を持ちたいということ、この3点が目標かな。

 考えを整理して文章をまとめる根気がない。これが今のありのままの自分だろう、としておこう。

道交法違反で取り締まられることについて

こないだ道路交通法違反で巡査に取り締まられたときには、3車線ある道路へ左折をする際に、クラウンを白黒に塗ったパトロールカーが、中央の車線をこっちにくるのが見えた。僕はそのパトカーの来る中央の車線に入りたかったのだけれど、パトカーとの距離感が非常に微妙で、そのまま入ると「ちょっとお前ギリギリやんけ」というようなタイミングだった。

しかも、そのタイミングのまずさに気が付いたのがアクセルを踏んだ後で、そこで瞬間的に僕のとった行動というのが、一番手前の車線に入るという実に中途半端なものだった。

しかしこの車線にいたのでは、次の信号で、直進したいのに、左折せざるをえなくなる。仕方がないので、パトカーが僕の車を追い抜くのを待って、中央の車線に移動することにした。しかし、前の信号が赤に変わり、パトカーがトロトロ走って、なかなか車線を移ることができなかった。

なんとか無事に車線変更を終え、信号待ちのために停車するやいなや、前に止ったパトカーから年配の巡査が降り立った。どうしたのかしらと見ていると、こちらに近づいてきて僕に話がしたい風だ。車の窓を開けて「どうしました?」と訪ねると、黄色のセンターラインが見えなかったのかと言う。

確かに、僕が車線変更をした所はセンターラインが黄色で、それは車線変更禁止を意味することになっている。事態を把握した僕は、「あ、なるほど。すみません」と素直に謝った。

得に危険な車線変更をしたわけでもなかったので、「それじゃ気をつけてね」とあっさり見のがしてくれるんじゃないかと思いきや、少し先に行ったところで停車するから必ず付いてきなさいと、厳しい口調で命令された。

交差点を越えたところでパトカーに続いて車を止め、うながされるまでもなく自ら颯爽とパトカーに乗り込むと、やはり反則をとると言われた。世の中そんなに甘くないらしい。

パトカーを運転する若い巡査が、「何で黄色のセンターラインで車線変更したんですか?」と聞くので、「んー」と唸って、何でだろうかとしばし考え込んだ。すると年配の巡査が、「彼女を横に乗せて他のこと考えながら運転してて、注意力が散漫になってたんだろう。そうだよな」と決めつけにかかった。

「車線変更をした理由は“したかったから”としか言いようがないんですけど、まさかこんなことで反則とられるとは思いませんでした」、などと下手に正直なところを言ってしまい、話が長引くのも面倒だったので、「んーまぁそんなところですかね」と答えておいた。さらに年配の巡査が曰くは、「パトカーの真後ろでしたらいかんわなぁ」ということらしい。「えぇ、すみません。気をつけます」としか言いようがない。


グダグダと何が言いたかったかというと、こういった瞬間的な判断の動機を語るのは非常に難しいということ。僕がその日、風邪をひいていたことも遠因としてある。パトカーを見て萎縮してしまい、本当に入りたかった車線に入れなかったと言えば、パトカーという存在のせいでもある。僕が妻を隣に乗せていたことは、自分では全く関係があるとは思えないが、そういうこともあるかもしれない。

それにしても、勝手に動機をねつ造されるのは不本意であったし、同時に、人はこうやって犯罪の物語を作り上げるんだと感心した。取り調べによって究明される動機も、おおよそこういった類のものなのだろう。誰かがどこかで言っていたが、異邦人の主人公は、あまりに暑くて、気が付いたら人を殺しているのだ。暑い“から”殺したのではない。


ことほど左様に、今回の違反に関しては、悪いことをしたとは全く思っていない。僕の考え方として、車を運転する以上、時として道交法違反で捕まるのは仕方がない。そして違反したことの責任をとり、必要経費の一部だと思って反則金を国庫に納める。税理士に「反則金は経費で落とせませんかね」と聞いたところ、「無理です」と即答されたとしてもだ。

そういう認識を持って、颯爽とパトカーに乗り込み、文句の一つも言わずに罪を認め、違反の動機まで言われるがままに追認。そして「印鑑お持ちですか?」と問われれば、「いえ、こっちで」と右手の人差し指をリズミカルに揺らしながら差し出すスマートさ。

パトカーを降りるときには、「ご苦労様でした。お手間とらせました」と、ひと言巡査をねぎらうと、「すみません。こちらこそお時間とらせました。気をつけて行って下さい」という返答をもらうことができる。これは3件ほどで実証済だ。

巡査は取り締まるのが仕事で、取り締まられるのは巡査の存在価値を明かすものだ。お互いビジネスでしているわけだから、これくらいのスマートさは欲しい。

春に残念に思うこと

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今年も例によってソメイヨシノが咲き誇っている。しかし、例年のような、気持ちがぞわぞわっとして浮かれて、「春だぜぇぇ!」と、「だぜぇぇ」とは言わないかもしれないけど、そんな風に叫びたくなるような高揚感と共にソメイヨシノを味わうことができない。
極端に言えば、少し冷めたまなざしを持って、あちらこちらのピンクのボワっとしたものを、「これは間違いなく美しい」と思いながら見ている。

2月に『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ起源への旅』(佐藤俊樹)という本を読んだからかしら、沖縄に行って暖かさを味わってしまったからかしら、などと原因に思いをはせていたのだが、それらしい理由を思いついた。

それは、3月の中旬に気温が20度を超えた時期に、その高揚感を一度経験してしまったからだ。あのこみ上げてくる感触は、体が冬モードから夏モードに変ろうとしていることからくるもので、きっと1シーズンに2度味わうことはできない。例年はたまたまソメイヨシノの開花の時期と重なるので、ソメイヨシノにチャームされて湧くもののような気がしてしまっていたのだが、あの高揚感は単に気温との関連しかない。

何が言いたいかというと、満開のソメイヨシノを眼前にして高揚感に駆られないという事態に、一抹の寂しさを覚える。そして、その寂しさを覚えること自体が、どこか春そのものを取り逃がしてしまったような気がして、残念でならないのだ。

「わたしは桜を見るたびに全開までいけますよ」という美容師のねえちゃんの話を聞いて、余計にそう思った。

だからとは言わないが、最近漁り聞きしているジャズの中で、Bill Evans が一番しっくりくる。Waltz For Debby なんて、もう。ユダヤ人にはいい仕事をする人が実に多い。

冬に沖縄に行くこと

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先の金土日と、思いがけず沖縄に行ってきた。そう報告すると、たいていの人は「いいなぁ」と、素直な羨望を表明する。かく言う僕も例外ではなく、妻からはじめて沖縄行きの提案を受けたときには、「いいなぁ」と、素直にそう思った。

自分の生活域の気温がまだ10度前後を右往左往している時期の沖縄の良さというのは格別かつ単純で、とにかくここより10度くらい暖かいのだ。しかし、実際に訪れてみて、そして帰ってきてさらに痛感するのは、暖かいということの格別さだ。暖かいということのストレスのなさはほんとうに素晴らしい。

亜熱帯の地域に暮らす人と、寒冷地に暮らす人と、生涯にこうむるストレスを量的に比較することができれば、冬の寒さがない分、前者の方が圧倒的に少ないはずで、それは何か人生の損得の域に達するほどの違いなのではないか。そんなことまで思ったりもした。

10年ぶり2度目の沖縄は、天候にはあまり恵まれず、最終日に少し晴れたのを除いては、基本的に曇りで風が強く、ときおり天空より水が滴るような具合だった。それでもぬくいだけでこんなにも幸せなのかと痛感した。



今回の旅でもっとも印象に残ったのは、ゆめゆり平和記念資料館でえた知識だった。学徒が戦争の最前線に配備されたことや、天皇のために死ぬことを奨励されていたことの不幸は確かに大きい。しかし、追いつめられてにっちもさっちもいかなくなった状況にあって、最終的に死者を増大させた原因が、指揮官の解散命令にあったということの不幸は、死をもって全てを済ませようという発想の端的な無責任さと害悪の全てを象徴していた。

枝葉は参照サイトに譲るが、進退窮まった状況の中で、牛島司令官という現場の最高指揮官は、「みんな降伏せずに死ぬまで頑張れ」とだけ命令し、自分だけ先に自殺してしまったのだ。人々はどうしていいものやらわからず混乱し、ゆめゆり学徒だけを見ても、それまでの2ヶ月間で19人にとどまっていた死者数が、一気に100人以上となったらしい。

その司令官も、幸福はあり得ないと教育されていて、被害者の一人には違いないのかもしれないが、それにしても、なんという無責任さだと閉口した。そして、ひめゆり学徒、ひとりひとりの顔写真なんかが展示してあったものだから、ホテルの従業員や、町で若い娘をみかけては、こんな子があんなめにあって死んだんやなぁと、思って回らずにはいられなかった。

■ゆめゆり記念資料館 http://www.himeyuri.or.jp/war.html



それにしても、全体を通じて振り返ってみると、リフレッシュしなければ、のんびりしなければという強迫観念にも似たものに駆られていたような気がする。それは日々感じている「しっかり働かなければ」という気持ちと同じものの裏返しで、きっとのんびりもリフレッシュもできいないのだ。

そして、そういった気持ちの切り替えができるほど、ちゃんと仕事をしていないと思っているのではないか、と考えてしまうのも、けっきょく同じ圏域にあって、真のヴァカンスとはこんなものではないのではないか、という思いに駆られるのも、また同じことかもしれない。

狩りの上手い下手

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空気の充填を8割ほどに抑えた、頭蓋骨ほどの大きさの合皮の球を、白線で囲んだ240坪ほどの区域の中で蹴り歩く。区域の両端には、畳3枚分ほどの大きさのカゴを倒したような鉄の枠を置き、5人ずつ2班に分かれ、1つのボールをいかに何度も相手の班の守る鉄の枠の中に入れ、自分の守る鉄の枠に入れさせないか、ということを競いあう。

仕事の関係の人に誘われて誘われるがまま参加しているフットサルは、コートの中を走り回らなければならないのでなかなか疲れるのだが、こういった運動をしていてつくづく思うのは、人間はもう狩りをしないもんなぁ、ということ。獲物を何匹捕まえることができたか、ということを競い合うかわりに、相手の枠の何回球を入れたかということを競い合う。

そして、身体能力と技術力を含め、狩りの上手い下手には歴然とした差がある。フットサルの上手い人をみると、狩りをさせてもさぞかし上手いんだろうなぁと思う。

僕も狩りは人並みにはやるだろうけど、4年生でセカンドからライトへ、5年生でライトから補欠兼控えのピッチャーへ、6年生の時分には1学年下チームの控えのピッチャーへと、小学生ながらに堅実な降格人生を味わった僕としては、所詮、運動能力の高いやつにはかなわない。狩りはそういった人たちに任せておいて、土器でも焼いて獲物と交換してもらいつつ、村をまとめる係でもしようか、などと考えが進んでいったりもする。