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2010年8月~11月の写真

2010年8月から10月の写真をFlickrにアップ。

http://www.flickr.com/photos/mi_ai164/sets/72157625562080613/

大きいメルちゃんと惣吉と僕。

11月からちびちび作業をしてやっとできた。
妻がもっぱら使っているiMacで写真を管理していることと、惣吉が起きている間は個人的な作業をさせてもらえない、というのが主たる原因を考えている。

10月29日に妻が女児を出産し、「志埜(しの)」とネーミングしてかわいがっているわけだが、4人での生活が始まって以来、仕事から帰ってきて食事、志埜ちゃんを抱きながら惣吉の相手、21時くらいから妻と惣吉、もしくは妻だけが風呂に入り、そのあと僕が志埜ちゃんを風呂に入れ、10時くらいから惣吉を寝かせようとするも、寝室で運動遊びなどをはじめてなかなか寝ず、11時過ぎに絵本を読みながら一緒に寝てしまう、という生活パターンが続いている。

夕食後、僕がパソコンの前に座ろうもんなら、「そうきちくんもカツオみるー」とYoutubeでサザエさんやアンパンマン、ヤッターマンなどを見ようとする。惣吉は、ひとつ観終わると、トラックパッドでマウスアイコンを操作し、自分の見たいものを勝手にクリックするようになった。おかげで、サザエのことを「ねえさん」、波平のことを「とーさん」と呼ぶし、「ドキンちゃんはなんでわがままなのー?」と聞いてくるし、車に乗ると「ままよりこわいどくろべーさまきくー」などドロンボー関連の歌をリクエストしては一緒に歌うに至った。

サザエさんをカツオ目線で視聴するのは至極まっとうだと思うし、ドキンちゃんがわがままだという認識は自身の振る舞いを振り返るきっかけになってなってくれればと思う。「タイムボカン名曲の夕べ」を貸してくれた先輩には感謝している。何度聞いても抜群に楽しい。

とにかく、惣吉が起きている限り、パソコンでの作業はさせてくれない。しかもYoutubeを見はじめたと思って隣で本を読んだりすると、「おとおちゃんもいっしょにみてー」と視聴を強要される。一時期、惣吉にMacを占拠されるのでiPadを買おうと思ったが、結局やめた理由はそこにある。

そこに志埜ちゃんが加わった。彼女はだっこした状態でイスに座らせてくれない。すぐにフゴフゴ言いはじめる。抱いて常にウロウロしておかなけばならない。すると惣吉が「おとおちゃん、これよんでー!」と絵本を持ってくる。絵本を読むために座ると、やはり志埜ちゃんはフゴフゴ言うが、我慢させられることの多くなる惣吉をなるべく甘やかしてやりたいという気持ちがあって、あぐらを組んで左足に志埜、右足に惣吉という状態で絵本を読む。しばらくすると志埜ちゃんが糞尿をいたして中断する。

こんな感じで、体力的にはそこそこくたびれるけど、幸福感を覚えることの多い今日この頃です。
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タイの豆

職場の事務員さんが、近所のクリーニング屋のおばちゃんに、土産にたくさんもらったからとお裾分けに預かって帰ってきた。タイの豆で、殻をむくと、赤黒い実が出てくる。その実は甘いということだが、全く食べてみようという気が起こらないので、机の上に1週間ほど転がしていた。

beanthail

今日、うちの事務所に出入りしている人に、「ひろしくん、なんで机の上にうんこのおもちゃ置いとん」(岡山弁です)と言われた。僕自身、思ってもみなかったことだが、そう言われてからというもの、豆ががうんこにしか見えなくなった。ちょうど、惣吉や、中型犬のうんこと同じくらいの大きさ、太さなのだ。

それまで「奇妙な豆」程度に思っていたものだ、まるでうんこになってしまう。枝の名残だと思われる突起物でさえ、うんこらしさを構成する重要な要素としか見えなくなってしまう。人の認識がいかに言葉に縛られているか、ということが改めて実感される出来事でもあった。「うんこ」というイメージを排除してこの物体を認識する自由が奪われてしまったのだ。

ともあれ、何という名前の植物なんだろうか。軽くググった程度では、知識をえることができなかった。知っている人があれば教えて欲しい。

池田動物園

先週の木曜日、保育園の行事で、惣吉が初動物園をすませてしまい、バカと付される親としては、湧き上がるジェラシーを禁じえず、早速本日、岡山唯一の動物園、池田zooを訪れました。

かしこくも惣吉は、ひよこをいじり倒し、坂道を駆け下りて転倒し、ヤギやシカに臆することなく餌を与え、かっこいい「バハァ」(車のこと)に乗った挙句、おやつをモリモリ食べて帰って寝ました。

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池田動物園は、岡山市中心部の小高い山の斜面に繰り広げられた古くて狭ーい動物園で、動物の種類は少ないし、設備は古くて汚いし、数年前には閉園しようかというところまでいきました。しかし、自分が住む町に動物園がひとつも無いというのは何とも寂しい、と思う人が多かったのでしょうか、どういう手立てが講じられたのか知りませんが、存続しています。

われわれはほぼ開園と同時に行ったので人もまばらでしたが、帰る昼前頃には、入場口に100mほどの列ができてました。今の状態でも、小さい子どもはそこそこ楽しめるし、何より競争相手となる他の動物園は県外です。

旭山動物園も一時は閉園の危機があったそうです。知恵と金を働かせるなり引っ張るなりして、一緒に行った親が、自分の子どもを見て楽しむだけではなく、動物のことも楽しめるような動物園になったらいいのになあと、いくつか方法について思いをめぐらせながらうろうろしました。

そうこうしながら、今日も100枚近く写真を撮ってしまいました。

三十路でーす。

惣吉と飛行機を望む

 明日の誕生日で30歳という年齢になります。あざーす。
 ありがたいことに毎日忙しいです。
 子どもと一緒に妻も寝てしまったし、誕生日というのは実にいい機会なので、最近感じていることを徒然に書き留めておこうかしらと思った。

 最近頻繁に感じることは、有り体な話、「もののけ姫ってもう10年前なんだ」とかそういった時間の経過を短く感じる類のことで、ひるがえっては、この10年間の自分の変化の微小さだ。
 確かにこの10年、いろいろと変わった。学生じゃなくなって、結婚して、岡山に住んでて、会社役員で、起きてる時間の多くを主にお金をもらうために働くことに費やして、子どもがいて、一戸建住宅を所有していて、借金があって、概況としては大幅に変化していて、おおよそ同じ人物とは思いがたい。
 また、怒るときには怒れるように、相手の嫌がることをハッキリ言えるように、など、パーソナリティとされるような面で、ポテンシャルを伸ばすことを画策している項目もある。

 でも、状況が変わったり、できなかったことが幾分できるようになったりしたからと言って、自分がそんなに大きく変わったとは思えない。
 僕は相変わらず、できれば未成熟な、学生の頃に持っていた暇で豊穣な時間を愛でることができるような気持ちを持ち続けられたらいいなあと思っている。また、無理だということを身をもって思い知る毎日だけど、皆が他者のことを思いやって、全てが円満に進んでいけばいいのになあと相変わらず思っている。

 ということは逆に、変わってない気がするしそんなに変わりたくもない、という気持ちを抱くということ自体、自分をめぐる環境の変化や、日々の鬱陶しかったり腹がたったりする出来事によって増強されているんだろう。
 人はこうしたことの積み重ねで、次第に頑固になっていくんだろうか。
 頑固にならないことに頑固になりたいし、まずは何でも受け入れる寛容さを持ち続けていたいし、思い込みによる反射的な拒絶反応を抑制したい。そういった不器用さと愚直さを持ちたい。

 ぶれない一点が無いと大局で判断できずに視野が狭窄してくる。そのぶれない一点の輪郭を明確にさせていくこと、外に広げていきたいということ、先手を打つ洞察力と行動力を持ちたいということ、この3点が目標かな。

 考えを整理して文章をまとめる根気がない。これが今のありのままの自分だろう、としておこう。

道交法違反で取り締まられることについて

こないだ道路交通法違反で巡査に取り締まられたときには、3車線ある道路へ左折をする際に、クラウンを白黒に塗ったパトロールカーが、中央の車線をこっちにくるのが見えた。僕はそのパトカーの来る中央の車線に入りたかったのだけれど、パトカーとの距離感が非常に微妙で、そのまま入ると「ちょっとお前ギリギリやんけ」というようなタイミングだった。

しかも、そのタイミングのまずさに気が付いたのがアクセルを踏んだ後で、そこで瞬間的に僕のとった行動というのが、一番手前の車線に入るという実に中途半端なものだった。

しかしこの車線にいたのでは、次の信号で、直進したいのに、左折せざるをえなくなる。仕方がないので、パトカーが僕の車を追い抜くのを待って、中央の車線に移動することにした。しかし、前の信号が赤に変わり、パトカーがトロトロ走って、なかなか車線を移ることができなかった。

なんとか無事に車線変更を終え、信号待ちのために停車するやいなや、前に止ったパトカーから年配の巡査が降り立った。どうしたのかしらと見ていると、こちらに近づいてきて僕に話がしたい風だ。車の窓を開けて「どうしました?」と訪ねると、黄色のセンターラインが見えなかったのかと言う。

確かに、僕が車線変更をした所はセンターラインが黄色で、それは車線変更禁止を意味することになっている。事態を把握した僕は、「あ、なるほど。すみません」と素直に謝った。

得に危険な車線変更をしたわけでもなかったので、「それじゃ気をつけてね」とあっさり見のがしてくれるんじゃないかと思いきや、少し先に行ったところで停車するから必ず付いてきなさいと、厳しい口調で命令された。

交差点を越えたところでパトカーに続いて車を止め、うながされるまでもなく自ら颯爽とパトカーに乗り込むと、やはり反則をとると言われた。世の中そんなに甘くないらしい。

パトカーを運転する若い巡査が、「何で黄色のセンターラインで車線変更したんですか?」と聞くので、「んー」と唸って、何でだろうかとしばし考え込んだ。すると年配の巡査が、「彼女を横に乗せて他のこと考えながら運転してて、注意力が散漫になってたんだろう。そうだよな」と決めつけにかかった。

「車線変更をした理由は“したかったから”としか言いようがないんですけど、まさかこんなことで反則とられるとは思いませんでした」、などと下手に正直なところを言ってしまい、話が長引くのも面倒だったので、「んーまぁそんなところですかね」と答えておいた。さらに年配の巡査が曰くは、「パトカーの真後ろでしたらいかんわなぁ」ということらしい。「えぇ、すみません。気をつけます」としか言いようがない。


グダグダと何が言いたかったかというと、こういった瞬間的な判断の動機を語るのは非常に難しいということ。僕がその日、風邪をひいていたことも遠因としてある。パトカーを見て萎縮してしまい、本当に入りたかった車線に入れなかったと言えば、パトカーという存在のせいでもある。僕が妻を隣に乗せていたことは、自分では全く関係があるとは思えないが、そういうこともあるかもしれない。

それにしても、勝手に動機をねつ造されるのは不本意であったし、同時に、人はこうやって犯罪の物語を作り上げるんだと感心した。取り調べによって究明される動機も、おおよそこういった類のものなのだろう。誰かがどこかで言っていたが、異邦人の主人公は、あまりに暑くて、気が付いたら人を殺しているのだ。暑い“から”殺したのではない。


ことほど左様に、今回の違反に関しては、悪いことをしたとは全く思っていない。僕の考え方として、車を運転する以上、時として道交法違反で捕まるのは仕方がない。そして違反したことの責任をとり、必要経費の一部だと思って反則金を国庫に納める。税理士に「反則金は経費で落とせませんかね」と聞いたところ、「無理です」と即答されたとしてもだ。

そういう認識を持って、颯爽とパトカーに乗り込み、文句の一つも言わずに罪を認め、違反の動機まで言われるがままに追認。そして「印鑑お持ちですか?」と問われれば、「いえ、こっちで」と右手の人差し指をリズミカルに揺らしながら差し出すスマートさ。

パトカーを降りるときには、「ご苦労様でした。お手間とらせました」と、ひと言巡査をねぎらうと、「すみません。こちらこそお時間とらせました。気をつけて行って下さい」という返答をもらうことができる。これは3件ほどで実証済だ。

巡査は取り締まるのが仕事で、取り締まられるのは巡査の存在価値を明かすものだ。お互いビジネスでしているわけだから、これくらいのスマートさは欲しい。

Appendix

プロフィール

みやいひろし

  • Author:みやいひろし
  • こんにちは。妻と惣吉(2007.6.26生)、志埜(2010.10.29生)と共に慎ましく暮らしております。

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