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屋久島に行ったこと 4 --シーカヤックをする

朝、何時に起きたか忘れたが、7時半から朝食をとった。朝食はみそ汁を中心になかなかおいしかった。向かいに座った初対面のカップルと、「昨日はどこ行ったんすか」などと会話をした。

デザートとして、民宿の主人が本業として栽培しているパッションフルーツ(時計草の実)が出された。見たこともなければ食べたこともなく、皮の内側から種のぶら下がる内部の構造に度肝を抜かれたが、味はみかんの果汁に似ていた。要するに、食すべき部位が種とその周りについた果汁しかない。ジューシーな果肉というものが無いので、あまり珍重されないのだろう。

9時に、シーカヤックごっこをさせてくれる中山さんというおっちゃんが、屋根にカヤックを2本乗せた、年季の入ったマツダのバンで宿まで迎えに来てくれた。40代だろうが、こんがりと日焼けもたくましく、まさに海の男といった容貌だった。
《屋久島遊び処スピニカ》 http://www4.cncm.ne.jp/~asobidokoro/index.htm 

台風の影響で、島の南側の海は依然波が高いらしく、シーカヤックは北側の海で行なうらしい。中山さんは、「ずっと海に出てるのと、海から川へ上がるのとどっちがいいかなぁ」なんて言っていて、どっちがいいのかわかんないなぁと思いながら適当に話しをしていたら、結局、今日は天気が良くてずっと海にいるのは暑すぎるだろうからと、海から川へと上がるコースにしたようだった。確かにこのコースで良かったと思う。本当に暑かったから。

途中、他の地域から客を3人拾ってきた、もう1台の車と合流した。この日の顔ぶれは、われわれ夫婦の他に、30代の女性2人組と、タカトリさんという30代前半と思しき女性が1人、そしてガイドが中山さんとクマモトさんの計7人だった。女性2人組は午前中で引き上げる予定らしい。公衆便所に立ち寄った後、出発地点となる港に向かった。

道中、自分たちが飲み物を持ってきていないことにハタと気がつき、道すがらの自販機で車を止めてもらった。しかし、その自販機は、500円を投入しても「釣り銭が無いから売れない」と、500円玉を排出する。小さい商店が店先に設置した自販機だったので、両替をしてもらおうと店に入った。店内に商品はほとんど無く、店番もいない。店の奥の家の方に向かって、「すんませ~ん」と何度か声をかけると、しばらくして、おばちゃんがごそごそと出てきた。店内の冷蔵庫においてあった500mlのペットボトルを売ってもらうことにしたが、今度は1リットルくらいのケチャップの缶から釣り銭を取り出すのに手間取っていた。のんびりしたもんだと思った。

【海に出る】
到着したのは楠川地区の小さい漁港だった。港の奥に小型のボートを海に出すスロープがあった。確かにスロープでもなければカヤックで海には出られない。車からカヤックを下ろしたり、救命胴衣を装着するなどして準備を整えた後、皆で整列してパドリングの練習をした。水の上でやってみないとわからないが、なんかできそうな気がした。


《港の漁船》

カヤックは2人乗りで、僕は妻とコンビを組むことになり、後部座席の舵取りを任された。足でペダルを蹴っると、ロープで接続された船尾の舵が右へ左へと動くという至極シンプルな仕掛けになっている。

カヤックを水に浮かべ、重心を陸側に残しながら素早く乗り込む。港の中は流木とゴミだらけだった。水上でのパドリングは、陸で練習したときよりも難しいが具体性がある。しばらくやっていると、少しずつ適切に動かせるようになってはきた。しかし動きになれないためか、力が入ってすぐに疲れてしまう。

天気はすこぶる良く、海の上は無茶苦茶暑かった。沖を見ると種子島がきれいに見えたし、屋久島を見ると山にはぶふぁっと雲がかかっていた。種子島は平べったいが、屋久島は唐突だった。さほど距離も離れていないのにここまで違うものかと感心した。

ときおり海を覗き込んだりしながら、のんびりと進む。呼吸をするために顔を上げたウミガメを見ることができた。舵は思ったよりも効きが良く、油断しているとすぐに進行方向がぶれてしまう。かといって熱心に漕いでいたのでは景色を見ることができない。


《2人乗り》


《山には雲がかかっているが、海は日差し地獄》

小一時間進んだところで、午前中で引き上げる女性2人組が、ガイドのクマモトさんに引率されて帰って行った。残りの2艘は宮之浦港に入り、宮之浦川を上がっていく。波頭に設置されたテトラッポットの大きさや、停泊する貨物船の大きさに畏怖した。

川に入って行くにつれて水温が下がり、水上を渡ってくる風が冷たくなってきた。実際、水に手を付けててみても、海水のみの場所に比べると随分と冷たいし、ベトベトしない。海水と真水の混ざる汽水域では、濃度の濃い海水は川底に滞留するので、川の表層はほぼ真水なんだろう。。

川にかかる橋の影で休憩すると、直射日光の暑さと、直射日光を浴びないことの涼しさを一度に実感することができた。海から吹いてくる風が船を押してくれて非常に楽だった。

【昼食を採る】
中山さん行きつけの河原に到着。砂地になっていて上陸しやすいし、木陰になっていて涼しい。あまりに暑いのと川がきれいなのとで、ザブンと水に入った。上層の川水はビックリするぐらい冷たいのだが、川底の海水はぬるい。不思議な感覚だった。そして歩いて水を混ぜると屈折率の加減で水中がユラユラとなり、海水と真水が混ざっていっているのが目に見えてわかる。少し離れて川を見ていると、川底の方が色が濃く見えるのだが、これも塩分濃度による屈折率の加減で、そのように見えるんだそうだ。そんな豆知識を客に与えてこそガイドだと感心した。

水の中にはハゼなどの魚がたくさん見えたが、比較的に浅い場所に小さなエビがたくさんいた。そのエビは人のタンパク質を好むらしく、手を浸けているとエビの方から寄ってきたりするので、比較的簡単に手ですくうことができる。妻とタカトリさんは、そのエビを実に熱心にすくい、パケツの中にためていった。僕は捕獲するたびに増えてゆくバケツの水を捨て、2人のエビをすくった手元にバケツを差し出すという役に終始した。

捕獲そのもの楽しんでいるのか、周辺にエビがいなくなるほど熱心にすくい続ける2人を見ながら、僕は見てる方が良いと思うと同時に、海女さんや農作業をする女性などを連想し、元来女性の方がよく働くんじゃないかという、ジェンダーともセクシャリティともつかないことを考えた。

エビをすくっている間、中山さんは昼食の準備に入っていた。メニューはレトルトの炊き込みご飯とトビウオの一夜干し、ゴーヤチャンプル。食材のカットなどを手伝った。捕獲したエビをフライパンに加えて赤くなる様を楽しんだり、おおむね美味しかった。ただ、女性2人があまり食べないので、少し残してしまったのが申し訳なかった。

飯を食い終わった頃に、にわかに雨が降った。パラパラっとした小雨で、われわれは既に濡れていたし、暑すぎたから涼しくて良かったくらいだったのだが、雲で大陽が隠れると同時に、直射日光に弱い蚊が背後の林から大量に出てきた。こりゃたまらんと、食後の休憩もそこそこに帰路についた。


《海水の多い部分が濃い緑色に見える》


《山から雲が降りてきた》

【風呂に入る】
帰る段になって、昼食場所まで到達するのも這々の体だったのに、同じ距離を戻るだなんてと、いささかうんざりした気持ちになっていた。さっきの雨は、屋久島の山に作られた雲が、少し流れてきていただけだったんだろう。川では上空にあった雲も、海に出ると全くない。ところが、日頃の行いが良いせいだと思われるが、海に出ると、潮がわれわれの行く方向に流れており、意外と早く出発した港に戻ることができた。むしろ行きが大変だったのは、潮の流れに逆らっていたせいだったのだろうか。

上陸して片づけを済ますと、汗を流しに温泉に行くという。連れて行かれたのが楠川温泉で、僕が今まで行った風呂屋の中では、最もボロい部類の施設だった。湯が冷泉を沸かしたものなのはいいのだけれど、浴槽の循環がままなっていないもんだから、お湯があまりきれいではない。ただ、風呂に入るということ自体のサッパリ効果はたいしたものだった。300円で石鹸もタオルも貸してくれる。
《楠川温泉》 http://onsen.railforum.co.jp/onsendb/kagoshima/yakusimakusukawa/yakusimakusukawa01.html

湯上がりに扇風機に当りながら、クマモトさんが佐賀県出身で数年前に屋久島に移り住み、トビウオ漁をメインの職としていることなどを聞いた。屋久島は他の小島よりも移住者が多いんだろうと想像した。

宿まで車で送ってもらう車中、ヨットで海外に出たことがあるという中山さんから、前々から気になっていた、ヨットでの国外への出方と、外国への入国の仕方を教えてもらった。国外へ出るときは、屋久島から直接どこかに行くことはできず、最寄りの税関のある港で出国手続きをしてパスポートに判子を押してもらわなければならない。外国の港に入るときも同様で、まずイミグレーション・オフィスのある港に入って入国手続きを済ませ、その国の行きたい港に行く。なるほどなぁと感心した。但し、船の場合、緊急寄港は国際条約で認められていて、船から降りない限り停泊することはできるんだそうだ。その他、いろいろと面白い話を聞いた。

宿に到着して3万円を渡し、礼を言って分かれた。当然のように領収証は発行されなかった。「ちゃんと申告してんのかなあ」と思うと同時に、海の男が税務申告なんてするわけないかと思い直したりもした。

【岩場で晩飯を食って寝る】
洗濯をしている間、晩飯の予約をしようと宿の近くの鶴屋という店に電話をしたが、既に予約でいっぱいだった。思い通りにならないと全てが嫌になりがちな妻は、「もう晩飯なんか要らん」と言って寝てしまった。

僕は中山さんに3万円を支払ったことで、現金が底をつきてしまっていた。たまたま妻が現金を持ってきていたので、旅行中は事足りそうではあったが、銀行のATMでも開いてないかしらと思い、とぼとぼ歩いて行ってみた。集落に2軒ある銀行は、日曜日だからという理由で当然のごとく全てのシャッターが降りきっていた。

もし妻が持っていなければ、消費者金融にでも飛び込もうかと思っていた。屋久島にも消費者金融のATMはある。そこは24時間、年中無休営業で、日曜日でもやっているに違いない。少々の額でもクレジットカードを使う癖がついてしまっていて、キャッシュをあまり持ってきていなかったところに手抜かりがあった。屋久島にはコンビニもない。

宿に戻って妻を起こし、隣のコープで適当におにぎりなどを買って近くの岩場で食った。妻が、岩場の水溜りにいる魚を、カメラを水中に浸けて撮れと言うのでトライしてみた。しかし、周囲は既に暗く、うまく撮れなかった。海岸には、僕の知っている海岸の石よりは随分と大きい、下流よりも少し上がったくらいの川原の石ほどの大きさの石が転がっていた。様々な色のものがあり、どれも角が取れて丸まるとしていた。砂岩もあれば花崗岩もある。手頃な大きさの白と黒の花崗岩を土産として拾って帰った。

宿に帰り、晩飯の続きとしてカップ春雨を食うことにした。食事のたぐいは食堂で行なうことになっており、ポットや電子レンジを置いてくれている。食堂には、今朝、話をしたカップルがいて、「今日はどこ行ったんすか」などと話しをしている間に、さつま揚げなんかを勧められたりして、そのカップルが夫婦であることなどがわかった。民宿のおばちゃんは、どういう経緯か、比較的最近、大阪から屋久島に移ってきたらしく、「大阪がいい、大阪がいい」と言っていた。じきに慣れるだろうと思いながら聞いていたが、「住めば都とはよく言ったもんで、すぐに慣れてこっちが好きになりますよ」などと軽口をたたける性分ではない。

いろいろと話をして楽しかったのだが、眠くて早く寝たかった。しかし、途中から会話に加わってきた妻が意外にも会話を楽しんでいる様子で、僕が寝るからと言って席を立った後も、しばらく話しを続けていた。人見知りで眠りたがりの妻は、見知らぬ人との会話になんて加わらずにとっとと寝るんだろうとばかり思っていたので、意外な一面を見た気がした。

明日も早いぞと歯を磨いてバタっと寝た。


《岩場》


《魚を撮れと言う》


《何枚か撮った末、唯一魚影の写ったもの》


《今日も山はきれいだった》

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屋久島に行ったこと 3 --白谷雲水峡を歩く

【登山口まで】
6時過ぎに起床。1階のサンクスで朝食と昼食を買い込み、ホテル近くバス乗り場から鹿児島空港行きのバスに乗り込んだ。バスが鹿児島市の市街地を抜ける間、島津の城跡が見えるなどして、鹿児島は鹿児島で観光してみたい欲望に駆られた。高速道路を走行中、桜島とおぼしき山などが望まれたが、全体的に随分と南に来たなという印象を持った。

4列シートのプロペラ機に乗り込むと、30分少々で屋久島空港に着陸した。着陸時のブレーキングは、シートベルトの効能を十分に発揮させるほど急激なもので、滑走路の短さを感じさせられた。空港の建物は、以前のカンボジアのシェムリアップ空港くらいの大きさで、要するにこぢんまりとした駅舎のような風体だった。

空港から宮之浦までは、バスで移動しようと考えていたが、飛行機が遅れたために既に出てしまっていた。次は1時間後となるので、タクシーを利用することにした。宮之浦まで2,570円。「屋久島観光センター」という土産物屋で、300円で手荷物を預かってもらい、店の向かいのバス停で白谷雲水峡行きのバスを待った。
《屋久島観光センター》 http://www.yksm.com/

バスはいくつかの停留所で10人ほどの観光客を乗せ、山へと入って行く。白谷雲水峡へと続く道は2車線道路に整備されており、きれいな道をつけているもんだだと感心した。しかし、拡幅工事が完了しているのは工事の簡単な山の下の方ばかりらしく、じきに車のすれ違いが難しい山道となった。土曜日ということもあって、途中、所々で拡幅工事がなされていた。屋久島は勾配のきつい岩山なので、施工がかなり大変そうだった。しかし施工業者は当分食えるだろう。


《バスの車内》

白谷雲水峡の登山道の入口付近は、駐車場に収まりきらない車で溢れてかえっていた。空港から宮之浦まで移動した時の、タクシーの運転手のおっちゃんから聞いたところによると、近年屋久島ではレンタカーが急激に増え、島内で700台ほどあるんだそうだ。屋久島の外周道路の延長は約100kmだから、1.5kmに1台レンタカーがあるような計算になって、要するに過密すぎるだろうと言うことだ。僕は、その時にはおっちゃんの話しをひとつの小話として受け取ったが、後日、別のタクシーに乗った折りに、運転手のおっさんから「最近レンタカーが急に増えて仕事を取られてるんだ」という話を聞かされて、「あれは愚痴だったのか」と気がついた。バスの運行もなく、レンタカーも少なかったころには、タクシーの運転手はアホほど儲かっていたらしい。

【白谷雲水峡を歩く】

登山口のゲートで、協力金という名目で1人300円を支払い、簡単な地図をもらった。歩き始めは、木製の歩道が付けられており、拍子抜けするほど快適だったが、それも10分ほどで無くなり、多少整備された登山道といった感じになった。途中、「楠川歩道」という山道があって、それは江戸時代に島津の殿様に屋久杉の杉板を納めるように言われて、切り出しに行くのに作った道らしい。確かに石なんかを並べてある。麓から白谷まで、われわれは車でピュっと来たが、結構距離がある。大きな杉を手で挽いて板にし、背負って歩いて麓まで下ろす。全く大変な仕事だと感心すると同時に、はやりここまでピュッと来れる科学技術にも改めて感心せざるを得なかった。

白谷雲水峡は、大きい屋久杉はあまり無いが、屋久島の北面ということもあってか、森が苔まみれで非常に雰囲気が良い。例の駿のおかげで「もののけの森」と呼ばれるようになった場所もある。また、所々で渡る小さな沢が非常に美しい。そのきれいさや爽快さについては、僕の表現力も足りないし、写真でも伝えることはできないし、まぁ行って見て下さいとしか言いようがない。


《登山道の入口近くの沢》


《緑の森の中で赤い木は目立つ。名前は忘れてしまったが、表面の質感が良かった》


《苔まみれ 全体的にこんな感じ》


《小さな沢をいくつか渡る。少し水に入らないと渡れないので防水トレッキングシューズの機能を堪能》

この旅行に向けて購入した新しいデジカメは、屋久島の森の光量の少なさに全くついてくることができず、手ぶればかりしていかんともしがたかった。手ぶれ補正というモードも用意されているのだが、無理に絞りを開いているのか、写真が黄色っぽくなって気に入らない。あと、焦点距離が35mm相当なものだから、風景を撮るには狭すぎて、欲しい構図で収まらない。最近は、Lumixなど広角のコンパクトデジカメもあるが、今回は防水を優先したのだから仕方がない。広角レンズを搭載したカメラがもっと増えればいいのにと思う。


《ツガ?も大きい 木の上から当たり前のように木が生えている》

白谷雲水峡は、周回コースのような感じで、ぐるっと回ることができるのだが、予定していたコースの逆回りをしてしまっていた。しかもそのことに気がつくのが非常に遅かった。おかげで何本かの名前の付けられた杉を見ることができなかったし、妻にも色々と文句を言われた。何かおかしいとは何度も思ったし、間違いに気がつくことのできるポイントもいくつもあった。しかし、間違えているはずがないという思い込みが非常に強力だった。思い込みを払拭する難しさを痛感した。


《岩の上に生えた苔が苗床になって木が生える》

また、一般的な白谷雲水峡コースの一番奥にある、太鼓岩という見晴らしの良い岩に登った。その日はこれ以上ないと言うほど天気が良く、西からの風が山に当たって雲になる様を見たり、安房の海を望んだりすることができた。その場に居合わせた他のグループを引率するガイドに言われるがまま、南側の山に向かって「おい!」と言うと、「おい!」と山びこが帰ってきた。われわれはガイドを付けずに回っていたのだが、ガイドを付けることの効能を見た。知識は風景を違ってみせる。


《雲は作るし山びこは返す》

【山を下りて宿へ】

帰りのバスの時間に合わせ、おおよそ4時間かけて降りてきた。ガイド本に白谷雲水峡は4時間10分コースだと書いていたが、それくらいあれば、まぁまぁのんびり歩くことができる。16時10分の最終バスは、座れない人が出るほどの盛況っぷりだった。

宮之浦で預けていた手荷物を受け取り、またバスに乗って宿のある安房まで移動した。行きのタクシーのおっちゃんの言いつけを守り、「警察署前」という停留所で下車した。そこから東へ10分、「この道で合ってるのかなぁ」と思いはじめる辺りに民宿志保はあった。玄関を開けるとおっちゃんがいて、部屋に通してくれた。部屋は海側に窓があり、よく風が通って非常に気持ちよかった。風呂に入って洗濯をした。洗濯機が回る間のんびりしていた。6畳間という空間も妙に落ち着けた理由だったと思う。狭さが手頃なんだろうか。

洗濯物を干した後、安房港を少し散歩した。さすがは外洋を望む港。テトラポットが少し興奮するくらい大きくて高かった。晩飯はガイドブックに出ていた、安房川の縁にある「散歩亭」という居酒屋的な店に行った。雰囲気も悪くなかったし、味もまぁまぁだった。宿に帰ってバタッと寝た。


《安房港から山を望む》


《テトラポットがでかい》


《散歩亭で食ったトビウオの一夜干しはホッケみたいな味だった》

屋久島に行ったこと 2 --鹿児島まで移動する

出発は金曜日の夜だったので、2日前の水曜日にあらかたの準備を済ませた。あとは仕事を片づけるだけだったが、出発日のバタバタといったらたいしたものだった。前日に残業もせずに母親に誘われるがまま旨い晩飯を食いに行ったのがまずかったのだろう。19時14分発の新幹線に乗る予定だったので18時には帰宅したかったが、結局18時半くらいになった。仕事場まで車で行き、そこから歩いて駅まで行くつもりだったが、事務所に父親がいて駅まで送ってくれた。非常に助かった。

金曜日の夜ということもあってか、みどりの窓口は非常に混み合っていた。電車の時間を考えると列に並ぶのはリスキーだったので、仕方がなく券売機で指定席を購入した。そして乗り込む段になって気が付いたのだが、僕が購入していたのは喫煙車両の座席だった。券売機の操作を誤った可能性が高い。たばこの煙にまみれて時を過ごすくらいなら立っていた方がましだと、自由席を目指して移動することにした。

すると途中で車掌に出くわしたので、「広島からでも良いから空いてる指定席がないだろうか」、「無ければ払い戻しして欲しい」と言うと、空いている禁煙車両の指定席に適当に座るように指示された。広島から西は人が減る一方なので、難なく座って博多に到達することができた。最近つくづく思うのは、自分の希望に合理性があると判断したら、とりあえず何でも言ってみるということだ。

このようなトラブルを最も嫌う妻は、しばらく機嫌が悪かった。一ヶ月以上前からチケットを手配することを望んでいたので余計だろう。僕が、「新幹線なんて無茶に混むもんじゃないから必要ない」と諭していたのだ。しかし、駅にギリギリに到着するの見越していなかったことに敗因があった。

ともあれ無事に博多に到着し、今度はリレーつばめに乗り換える。しかし、新幹線の券売機では、博多までのチケットしか買えなかったため、われわれはつばめの特急券はおろか、鹿児島までの乗車券すら持っていない。こんな場合は普通につばめに乗り込んで、車内の車掌からチケットを購入すればいいはずだ。念のためにと思い、改札まで降りて駅員に確認したら、案の定、車内で購入するように言われた。ところが、ホームに向かって歩いていると、先ほどの駅員が追いかけてきた。何事かと思って話を聞くと、2人なら一度改札を出て回数券を購入した方が安くなると言う。わざわざご親切にと感心し、言われるがままを実行した。

九州新幹線は全線が開通していないため、博多-新八代間は「リレーつばめ」と称した特急が在来線を走っている。リレーつばめは黒くてレトロチックなイメージの車両だった。狭軌を100km以上で運行するので、はやりよく揺れる。それは実際に乗っているときにも感じるが、広軌を安定して走行するつばめに乗り換えることによって余計に思い出が増幅される。つばめの車両、これは渋かった。自由席も4列シートでゆったり。シートが木製だったり、ブラインドがすだれだったり、和の装い。JR西日本も、レールスターもいいけどこれくらいコンセプチュアルな車両を作ればいいのにと思った。
《つばめ》 http://www.jrkyushu.co.jp/trains/train.jsp


《つばめの車内》

リレーつばめが熊本県を通り過ぎる間、僕の母親の両親の出身地である人吉市にしばし思いをはせた。小さい頃には祖母や母と何度か訪れたことがあるが、物心ついてからは足が遠のいてしまっている。自分のルーツの一方であることは間違えないわけだから、どんな所か見てみたいという気持ちがある。見たからといって、どうということもないだろうが、そんな直感的な欲望がある。

24時前、終点の新鹿児島駅に着く頃、妻が予定より運賃が高かったと言いだした。それもこれも、ひとえに僕が博多で一度改札を出てチケットを買い直したが為であると。領収証を財布から引っ張り出して足し算をしてみると、確かに予定よりも千円ほど高い。改札の駅員に、「一度改札を出てしまったが為に高くなってしまったみたいだから、払い戻ししてもらえないか」と聞いてた。しかし、「クレジットカードで購入しているので改札ではどうにもできない」と言われた。それもそうかと思い、大人しく引き下がった。しかし、後でよく考えてみれば、岡山-博多間の新幹線の指定席代で高くなっていたような気がしないでもない。真相は追求していない。

24時過ぎにホテルのチェックインを済ませ、ホテルの1階のロビーと間仕切りもなくつながっているサンクスで、夜食と朝食を購入した。コンビニに備え付けてある給湯ポットでカップラーメンに湯を注ぎ、部屋に持って上がって食った。ホテルは30年ほど前の雰囲気をそのまま残し、設備はボロく清潔感もない。駅から近いことと、1泊ダブルで6,300円と安いことを除けば、とりたてて評価するべき点も見つからなかった。
《ホテルニューカゴシマ》 http://www.newkagoshima.com/

屋久島に行ったこと 1 --プロローグ


《屋久島空港の一角》

海の日の絡んだ7月の3連休、鹿児島県は屋久島を訪れた。旅行に行こうと言い出すのも、行く先を決めるものいつも妻だ。僕は「おぉいいなぁ。行こうか」と言うだけ。夫婦関係というものは夫が妻に従うことによって安定的に保たれると信じているので、よほど理不尽や非合理の無い限り、僕は妻の要求を鵜呑みにすることにしている。例えこれが結果から導かれた信念だとしてもだ。

そんな気分の延長で、航空券の手配や旅程の決定など、旅行代理店的な業務を丸投げにしていた。しかし、前回の直島旅行で、僕が旅程を全く理解していなかったことが妻には不服だったらしく、今回はまず、僕が旅程と宿泊先を検討するよう指示された。しかし、インターネットで情報を収集してみるものの、溢れる情報を取捨するディレクションがなく、なんとなく面倒な気持ちになって真剣に取り組んでいなかった。そして僕の気持ちも幾分高まり、Amazonでガイド本と山岳地図を購入したのは旅行の10日ほど前になってからだった。

気持ちが旅行に向くことによってようやく期日が逼迫していることに気が付いた。こりゃいかんと慌てて旅程を決めて、屋久島の中で宿泊する地域を決定し、宿泊先の予約を妻から一任されたのだが、さすがに1週間前では、めぼしい宿はどこも満室になっていた。

その「めぼしさ」というのも、楽天の口コミや、宿の運営するサイトの様子などから得たものだからたいした確証もない。どこにしようとどのみち運の世界なんだから、口コミがあろうとなかろうとどこでもいいや。かと言って、2連泊するのに晩飯付にしてしまっては外れだった時のリスクが大きい。だから宿は素泊まりにしよう。あとは相部屋にされる可能性が無いところで、朝食は可能で、洗濯機があって、風呂が男女別で、などと妻の要望で判断していったら自ずと絞られた。

ご縁があったのは、安房にある民宿志保という6部屋ほどの小さな宿だった。施設内は清潔に保たれ、朝食もおいしかったし、おっちゃんは渋いしおばちゃんは親切、Aコープが真横にあって買い物にも困らない。便の多いバス停から少し離れている点を除けば、当りだったと思う。
《民宿志保》 http://shiho.cy.to/

旅程と宿泊先も大切だが、屋久島の見所と言えば山で、山を歩くためにはそれなりの装備が必要になる。僕には、昨年富士山に登った折りに購入した装備があったので、大きい買い物はなかったが、妻はリュックにトレッキングシューズにレインコート、小さなものから大きなものまで10万円近くのショッピングを楽しんだのではないだろうか。

アウトドア用品を見るのは楽しい。昨年の富士登山をきっかけに山登りを趣味のひとつとするまで、アウトドア用品やスポーツ用品を見に行く機会は皆無に等しかった。しかし、いざ足を運び始めてみると、機能性が追求されモノとして魅力的な商品が多い。だからこそ機能性とデザイン性を兼ね備えた商品が少ないのが残念でならない。トレッキングが主に中高年の趣味とされているからだろうか。

そういえば、新たにデジカメも購入した。完全防水でかつ1.5mからの落下に耐える。雨のよく降る屋久島で、よく落とす僕が使うのには最適だった。タフな分、最近主流のデジカメより一回り大きいが、それでも僕の5年前のサイバーショットに比べると随分小さい。
《オリンパス μ720》 http://olympus-imaging.jp/digitalcamera/mju720sw/

そんなこんなで準備ができた。旅程は次の通り。

1日目
19時過ぎの新幹線に乗り込み博多へ。リレーつばめに乗り換えて新鹿児島まで。駅の近くのビジネスホテルで1泊。

2日目
早朝、バスで鹿児島市内から鹿児島空港へ。飛行機に乗って降りたら屋久島だった。タクシーで宮之浦に移動。手荷物を土産物屋に預け、バスで白谷雲水峡へ。夕方に下山してバスで宮之浦に戻る。手荷物を受け取ってまたバスで安房へ。宿を探しあて入室。風呂に入って洗濯をする。晩飯は安房川沿いの居酒屋的なところに食いに出た。

3日目
宿で朝食をいただく。ツアー屋のおっちゃんに宿まで迎えに来てもらって楠川近辺の漁港へ。カヤックにて海へと漕ぎ出す。暑い。宮之浦川を少し上り、河原で行水と昼飯。そして元来た漁港へと引き返す。暑い。楠川温泉に連れられ汗を流す。宿まで送ってもらい精算。洗濯をし、Aコープで適当なものを買って海岸で食った。

4日目
朝、宿に手荷物を預かってもらい、前日に手配したタクシーでヤクスギランドへ。150分コースをぐるりと回ってバスで下山。宿の近くの食堂で慌ただしく昼飯を食う。バスに乗り込み空港へ。2回飛行機に乗ってブーンと岡山に帰った。

また行きたいです。

10月末~11月中旬のこと (6) --日光に行く

新年に入っても、相変わらず11月中旬のこと。 6回目

Appendix

プロフィール

みやいひろし

  • Author:みやいひろし
  • こんにちは。妻と惣吉(2007.6.26生)、志埜(2010.10.29生)と共に慎ましく暮らしております。

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